【#22】20th Anniversary — Sellenatelaの軌跡 vol.02
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姉がSellenatelaを運営するために会社を立ち上げた2006年4月12日。それから1年ほどの時を経て、2007春夏コレクションよりSellenatela初の商品が世の中に誕生しました。
当時も今も、東京近郊の靴工場の生産ミニマムロットは1デザイン100足〜150足が基本です。小ロットで対応してくれるメーカーもありますが、コストが1.5倍ほどになるのが実情です。
姉はなんと、デザインをした5型×各100足、計500足をまずは生産したのです。当時はまだ社会に勢いがあったこともあり、500足をつくってもどうにかなる!と思ったのでしょう。そこから姉は、知人のレストランを借りてファッションショーをしたり、展示会を開いたり、少しずつ販売のきっかけづくりをしていきました。
その頃わたしはまだ留学中。課題に追われながらも、姉の勇気と頑張りに日々感化されていました。太平洋を挟んだ分業も続き、デザインのバックグラウンドを生かしてパッケージのデザインや資料づくり、ウェブサイト制作などを担っていました。
photo: デビュー当時のアトリエとシューズ
ある日、姉から朗報が届きました。展示会に来たEC限定のセレクトショップにお取り扱いいただけることになったのです。少量でしたが、初めてのお店です。皆で大喜びしました。
そして、数ヶ月後、そのセレクトショップが銀座のデパートの一階の路面スペースでポップアップショップを開催することになりました。その際、買い取った商品以外の在庫も販売してみないかと声をかけてくださったのです。その時ちょうどアメリカの学校の長期休みだったこともあり、わたしも一時帰国をし、毎日姉と店頭に立って販売を経験しました。
自分たちが作ったものに共感し、購入していただける。それを体感した時の喜びは、言葉では言い表せないほどの感覚でした。Sellenatelaはデビューしたばかりのブランドでしたが、そのポップアップ最初の1週間で50足ほどを販売しました。
「こういう新しいブランドを探していたんです!ぜひ常設で展開してください。」
まさか常設のお話をいただけるとは思ってもいなかったわたしたちは、デパートの靴売り場の方からの思いがけない言葉に顔を見合わせました。こうして、立ち上がったばかりのSellenatelaは、2007年秋より販売する場所を得ることとなりました。
その頃にはわたしも無事にサンフランシスコ州立大学の大学院に入学し、日々とてつもない量の課題に追われていました。それでもSellenatelaの運営は刺激的で楽しく、毎日のように姉とSkypeを使ってミーティングをしては、Sellenatelaをより成長させるために、太平洋を挟んで奮闘を続けました。
初めての売り場を持ってから5年間、わたしたちはシューズビジネスの現実に直面し続けました。靴はサイズ、カラー、デザインの掛け合わせがあるので在庫リスクが何よりも高い商材です。それを売る面白さと難しさ。経営者・デザイナーとして奮闘し続ける姉を傍らで見ながらも、まだまだ美大生の感覚のままのわたしは、ビジネスの難しさよりもブランドづくりの楽しさに惹かれていました。
その頃、Sellenatelaの主力の売り場はいわゆる百貨店の「平場」と呼ばれる靴売り場でした。周りを見れば、もっと大量に生産をしている問屋さんのブランドがほとんどです。当時の平場ではパンプス18,000円が一番売れると言われる価格で、デビューしたての時のSellenatelaのシューズは周りより1万円ほど高い価格帯でした。
その売り場で生き残るために、デビューから数シーズン後には周りに合わせた価格帯のシューズも作って販売するようになりました。ですが、周りに合わせるほど、自分たちが大切にしたいものが指の間からこぼれ落ちていくような感覚がありました。
わたしは2005年から5年弱の留学を経て2010年に本帰国。そこから姉のそばでブランド運営を本格的に手伝い始めます。けれど、その頃はまだどこかで、Sellenatelaは姉のブランドという感覚が自分の中にあったのも事実です。
帰国してからは、姉と一緒にメーカーへ行く機会も増えました。行くたびに職人さんと話をし、議論を交わす。見た目と履き心地、両方を叶える靴づくりは本当に奥深く、一筋縄でいかないからこそますます惹かれていきました。そして、元々デザインを学んでいたこともあり、姉がつくる靴に徐々に意見を出すようになり、少しずつわたしがシューズのデザインも担うようになっていきました。
こんなにも熱量をかけて、自分たちの手でブランドをつくっているのに、果たして本当に周りの他のブランドと同じ価格で同じように販売をしていて良いのだろうか。百貨店の平場ではなく、もっとブランドとして差別化できるような高感度のセレクトショップで取り扱ってもらいたい。ずっとそう思ってたのではないか。何度もブランドビジネスの難しさに直面し、その度に自分たちなりの答えを探し続ける日々のなかで、その懸念がずっと心の中にひっかかっていました。
原点に立ち返り、自分たちにしかできないブランドをつくる。
そして2012年、わたしが主導しSellenatelaをリブランディングするに至ります。
次回はリブランディング以降のお話です。
続く。