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【#24】20th — Sellenatelaの軌跡  vol.04

【#24】20th — Sellenatelaの軌跡 vol.04

20th — Sellenatelaの軌跡 vol.01を読む 20th ー Sellenatelaの軌跡 vol.02を読む 20th ー Sellenatelaの軌跡 vol0.3を読む   HALL by Sellenatela 2018 - 2023   HALLをオープンして4年半。場をキュレーションし、お客様と直接繋がることができる場所を持てた時間は、何物にも代えがたい充実したものでした。けれどその傍らで、わたしはまた違うジレンマを抱えるようになっていました。 「靴づくりに、集中しきれていない。」 2017年に第一子、2019年に第二子を出産し生活が一変したこともあり、すべてを完璧にこなそうとすればするほど、自分のキャパシティが限界を迎えていることに気づかされました。さらにコロナ禍が重なり、場を維持することへの葛藤は深まっていきました。 もう一度、真っ直ぐに靴と向き合いたい。 HALLを閉じる1年ほど前、馴染みのスタイリストからの依頼で、とあるダンスグループのシューズをつくる機会を得ました。短い期間での制作でデザインは好評、ただダンスをするには足入れが不安定ということで、そのシューズは一度しか使われませんでした。 クライアントへの申し訳なさと、自分自身への不甲斐なさを感じたわたしは、もっとプロフェッショナルになりたいと思いシューフィッターの講習を受け始めました。そして、今まで「靴」に向けていた視点を「足」に向け、靴と足の研究に没頭していきます。 そして2023年3月「HALL」を閉じる決断をしました。すっきりとした気持ちと、名残惜しさと。経営がもっと安定していれば続けていた……という悔しさも正直に言えばありました。けれど、優先順位をつけ何かを手放すことは、前に進むために必要な選択でした。 コロナ禍頃から、半年に一度新作を追い続けるファッション業界の「シーズンコレクション」という枠組みに違和感を抱いていたわたしは、もっと持続可能なデザインを追求したいと考えるようになります。そして、シューフィッターの資格を取得し、デザイナー兼シューフィッターとしてたくさんの方の足を見ながら新しいブランドの形を模索し始めました。 2023年後半、長年続けてきたシーズンコレクションという枠組みを手放すことを決断。新作を追い続けるサイクルから一歩退き、既存モデルのリデザインや新たなシグネチャーの開発など、「エターナルなデザイン」の追求へと舵を切りました。それが、今のSellenatelaの姿です。 靴づくりに改めて向き合うなかで、強く感じていることがあります。靴はファッションの中で唯一「痛み」を伴うアイテムです。見た目の美しさと、歩くための機能や履きやすさ。この相反する要素を両立させるには、専門性と熱量が必要です。その両立はデザイナーだけでは成し得ず、靴作りに関わるさまざまな分野の職人との対話が欠かせません。   東京の靴づくりは分業制で、工程ごとに異なる職人が手を動かし、一足に使われるたくさんのパーツにもそれぞれの資材屋が存在します。一足の靴が出来上がるまでに、たくさんの人が関わっている。それが「東京の靴作り」です。   今、靴業界は厳しい局面にあります。わたしが靴に関わり始めて約20年。この間、何軒もの資材屋さんやメーカーさんが廃業していくのを目の当たりにしてきました。わたし自身も明日は我が身と感じ続けています。それでも、この「東京の靴作り」の面白さを絶やしたくない。発信し続けることで、次の世代に何かを繋いでいけるのではないか。そんな使命感が、今のわたしを突き動かしています。  ...
【#23】20th — Sellenatelaの軌跡  vol.03

【#23】20th — Sellenatelaの軌跡 vol.03

20th — Sellenatelaの軌跡 vol.01を読む 20th ー Sellenatelaの軌跡 vol.02を読む   2012年、わたしが主導してSellenatelaはリブランディングを行いました。それまで姉が作り上げてきたブランドを土台にしながら、わたし自身のバックグラウンドであるデザインやアートをブランドに注ぎ込んでいくタイミングでもありました。そして、百貨店の平場での販売を主軸とするビジネスから、セレクトショップへの卸販売へ。 日本でこだわって作っているからこそ、ものづくりの価値をきちんと届けたい。そんな思いを抱いていました。 わたし自身がファッションを、デザインやアート的な視点で見ていたこともあり、マーケット的なトレンドよりも「格好良い表現」を追求していきました。感性の合う友人スタイリストに声をかけ、感度の高いフォトグラファーをチームに引き込み、格好良いヴィジュアルでブランドを表現する。2012年秋冬コレクションから本格的なヴィジュアルづくりを始めます。 気鋭のクリエイターたちとの撮影は毎回刺激に満ち、仕上がった写真を見るたびに「こんなシューズブランド他にない!」と興奮していたのを覚えています。今思えば、美大時代の作品づくりの延長線上にある感覚だったのかもしれません。 当時は「靴ブランドが洋服ブランドのようなアプローチをすること」が珍しく、バイヤーや業界の方々には「シューズブランドは色がない方が売りやすいんだよ」と言われ続けていました。わたしはその言葉に違和感を抱き、自分たちなりの「色」を求めました。 Sellenatelaの手綱をわたしが引くようになって少し経った2014年、違うキャリアをスタートするために、姉がブランドから抜ける決断をします。そして2014年7月、わたしが会社の代表に就任しました。自ら経営を担う立場になって初めてブランドビジネスの本当の大変さを知ります。 クリエーション - 表現をする。 ビジネス - 経営をする。 この2つの軸のバランスをとることの難しさ。社会に出て働いたこともなく、ビジネスのビの字も知らない当時のわたしにとっては、経営という難しいことと向き合うよりも、表現をする勢いだけが前に進む力でした。 モデルを使ったファッションシューティングを数年続けたのち、表現をより「アート」へとシフト。靴をオブジェクトと捉えアーティスティックな物撮り表現を数シーズン行いました。そして2017年春夏には、イギリス人アーティストによるあえて靴を一切登場させないコラージュ作品をビジュアルに採用。当時、関係者がざわつきました(笑)。今でも好きな作品ですが、冷静に考えるとその作品だけではコレクションの良さは伝わりません。短期的なビジネスとしては失敗ですが、あの時は前衛的でいたい表現者としてのわたしがいました。   ファッションは移ろいやすいもの。セレクトショップに卸してもビジネスは一向に安定せず、どう生き抜くか頭を悩ませることも多々ありました。2012年〜2016年まではセレクトショップへの卸販売を軸にしていましたが、時代の流れや世情とも重なり、そのビジネススタイルに限界を感じ、2017年に本格的にオフィシャルオンラインショップをオープンしました。 百貨店で販売をしていた時はお客様と直接触れ合うことがあったのですが、卸販売に軸を傾けるとお客様が見えなくなる。そんなジレンマもあり、ECオープンを機にまたお客様へ直接届けることを考え始めます。そして、当時のオフィスを不定期に「オープンアトリエ」として解放し、お客様にお越しいただける機会をつくり始めました。実際にお客様と繋がることでブランドの輪郭がまたはっきりとしていく感覚がありました。 そして2018年、ブランドの世界観を空間として体現し、お客様に実際に靴を試していただける場をつくりたいという思いから、富ヶ谷にショールーム「HALL by Sellenatela」をオープン。靴の販売だけでなく、アート本やヴィンテージ花器の紹介、アーティストの企画展……。Sellenatelaというブランドが大事にしている「表現」を行う場を持つことで、ブランドとしての幅を広げました。 HALL by Sellenatela 2018 - 2023  ...
【#22】20th Anniversary — Sellenatelaの軌跡 vol.02

【#22】20th Anniversary — Sellenatelaの軌跡 vol.02

20th — Sellenatelaの軌跡 vol.01を読む 姉がSellenatelaを運営するために会社を立ち上げた2006年4月12日。それから1年ほどの時を経て、2007春夏コレクションよりSellenatela初の商品が世の中に誕生しました。 当時も今も、東京近郊の靴工場の生産ミニマムロットは1デザイン100足〜150足が基本です。小ロットで対応してくれるメーカーもありますが、コストが1.5倍ほどになるのが実情です。 姉はなんと、デザインをした5型×各100足、計500足をまずは生産したのです。当時はまだ社会に勢いがあったこともあり、500足をつくってもどうにかなる!と思ったのでしょう。そこから姉は、知人のレストランを借りてファッションショーをしたり、展示会を開いたり、少しずつ販売のきっかけづくりをしていきました。 その頃わたしはまだ留学中。課題に追われながらも、姉の勇気と頑張りに日々感化されていました。太平洋を挟んだ分業も続き、デザインのバックグラウンドを生かしてパッケージのデザインや資料づくり、ウェブサイト制作などを担っていました。   photo: デビュー当時のアトリエとシューズ   ある日、姉から朗報が届きました。展示会に来たEC限定のセレクトショップにお取り扱いいただけることになったのです。少量でしたが、初めてのお店です。皆で大喜びしました。 そして、数ヶ月後、そのセレクトショップが銀座のデパートの一階の路面スペースでポップアップショップを開催することになりました。その際、買い取った商品以外の在庫も販売してみないかと声をかけてくださったのです。その時ちょうどアメリカの学校の長期休みだったこともあり、わたしも一時帰国をし、毎日姉と店頭に立って販売を経験しました。 自分たちが作ったものに共感し、購入していただける。それを体感した時の喜びは、言葉では言い表せないほどの感覚でした。Sellenatelaはデビューしたばかりのブランドでしたが、そのポップアップ最初の1週間で50足ほどを販売しました。 「こういう新しいブランドを探していたんです!ぜひ常設で展開してください。」 まさか常設のお話をいただけるとは思ってもいなかったわたしたちは、デパートの靴売り場の方からの思いがけない言葉に顔を見合わせました。こうして、立ち上がったばかりのSellenatelaは、2007年秋より販売する場所を得ることとなりました。 その頃にはわたしも無事にサンフランシスコ州立大学の大学院に入学し、日々とてつもない量の課題に追われていました。それでもSellenatelaの運営は刺激的で楽しく、毎日のように姉とSkypeを使ってミーティングをしては、Sellenatelaをより成長させるために、太平洋を挟んで奮闘を続けました。 初めての売り場を持ってから5年間、わたしたちはシューズビジネスの現実に直面し続けました。靴はサイズ、カラー、デザインの掛け合わせがあるので在庫リスクが何よりも高い商材です。それを売る面白さと難しさ。経営者・デザイナーとして奮闘し続ける姉を傍らで見ながらも、まだまだ美大生の感覚のままのわたしは、ビジネスの難しさよりもブランドづくりの楽しさに惹かれていました。 その頃、Sellenatelaの主力の売り場はいわゆる百貨店の「平場」と呼ばれる靴売り場でした。周りを見れば、もっと大量に生産をしている問屋さんのブランドがほとんどです。当時の平場ではパンプス18,000円が一番売れると言われる価格で、デビューしたての時のSellenatelaのシューズは周りより1万円ほど高い価格帯でした。 その売り場で生き残るために、デビューから数シーズン後には周りに合わせた価格帯のシューズも作って販売するようになりました。ですが、周りに合わせるほど、自分たちが大切にしたいものが指の間からこぼれ落ちていくような感覚がありました。 わたしは2005年から5年弱の留学を経て2010年に本帰国。そこから姉のそばでブランド運営を本格的に手伝い始めます。けれど、その頃はまだどこかで、Sellenatelaは姉のブランドという感覚が自分の中にあったのも事実です。 帰国してからは、姉と一緒にメーカーへ行く機会も増えました。行くたびに職人さんと話をし、議論を交わす。見た目と履き心地、両方を叶える靴づくりは本当に奥深く、一筋縄でいかないからこそますます惹かれていきました。そして、元々デザインを学んでいたこともあり、姉がつくる靴に徐々に意見を出すようになり、少しずつわたしがシューズのデザインも担うようになっていきました。 こんなにも熱量をかけて、自分たちの手でブランドをつくっているのに、果たして本当に周りの他のブランドと同じ価格で同じように販売をしていて良いのだろうか。百貨店の平場ではなく、もっとブランドとして差別化できるような高感度のセレクトショップで取り扱ってもらいたい。ずっとそう思ってたのではないか。何度もブランドビジネスの難しさに直面し、その度に自分たちなりの答えを探し続ける日々のなかで、その懸念がずっと心の中にひっかかっていました。 原点に立ち返り、自分たちにしかできないブランドをつくる。   そして2012年、わたしが主導しSellenatelaをリブランディングするに至ります。 次回はリブランディング以降のお話です。 続く。
【#21】20th Anniversary — Sellenatelaの軌跡 vol.01

【#21】20th Anniversary — Sellenatelaの軌跡 vol.01

「ね、シューズブランド始めない?」 2004年、姉の突拍子もない言葉に誘われて、わたしはシューズ業界へと足を踏み入れました。   インポートシューズの洗練されたデザインと美しさが大好きだった姉は、ある日自分でシューズブランドを立ち上げることを思いついたのです。日本の他のブランドにはないような、色使いや装飾の効いたシューズを作り、たくさんの人に喜んでもらいたい、という純粋な思いでした。   「楽しそう!やろうよ!」   当時わたしは大学4年生。3歳上ながら大学に行き直していた姉は、学年は一つ下。そんなわたしたちが、学園祭のようなノリで、どんなブランドにしようか、どんなシューズをつくろうかと、日々ワクワクしながら考えていました。姉の部屋に集まっては、あーではないこーではないと。そして、ブランド名はおまじないのような名前がいいねと話し、思いついたのが「Sellenatela」。閃いた音に言葉を乗せた造語です。 「セレナテラ、セレナテラ……」何度も唱えてみると、響きと語呂がまさに魔法の言葉のよう。このブランドに出会った全ての人たちにとって、"おまじない"のような存在になれれば、という願いを込めました。   ブランドを始めると言っても、何からスタートをして良いのかも、どこで靴を作れるのかも分からないわたしたちは、Yahoo! で「靴 作る 工場」と検索をし、上位に出てきた「東都製靴工業協同組合」という東京都のシューメーカーをまとめる、言わば靴業界への窓口のようなページを発見し、そこに載っている工場に電話をかけてみることにしました。今とは違ってメーカーのウェブサイトもインスタグラムもないような時代です。情報がなかったので、とりあえず片っ端から電話をしていきました。 「榎本と申します。靴のブランドを始めたいのですが、お話を聞いていただけませんか?」 無知な学生ほど強いものはありません(笑) 電話では当然、相手にしてもらえません。これでは埒が開かない!と、組合名簿に載っている工場が多かった浅草方面へと出向くことにしました。まだスマホもGoogle Mapもなかった時代。家で印刷をした地図を見ながら、靴工場を見つけては手当たり次第門を叩きました。 正直なところ、大学卒業後にアメリカ留学を決めていたわたしは、言い出しっぺの姉ほどの熱量はなく、途中からは姉が浅草に行くのを片目で見て応援する感じになっていました。 日本の大学でグラフィックデザインを学び卒業をし、2005年秋からアメリカ・サンフランシスコに留学。現地の大学院でグラフィックデザインやインダストリアルデザインを学ぶためにまずは語学学校に入りました。 その間も、姉は諦めずに浅草に通い続け、ついに一軒の工場に入り浸るようになります。そこで1年以上インターンのようにお手伝いをしながらメーカーの社長の信頼を得て、自分がデザインをした靴のサンプルを作ってもらうところまでたどり着いたのです。 わたしはサンフランシスコで大学院受験の準備に追われながら、それを横目で見ていました。姉の頑張りに驚愕し、離れていながらも自分ができることをやろうと、グラフィックデザインの経験を生かし、資料やブランドアイデンティティの制作などを担当しました。太平洋を挟んだ分業です。 2006年4月12日、大学在学中の姉がSellenatelaを運営するための法人を立ち上げました。 本当に立ち上げたんだ、、、姉の勇気のある行動に、一緒にやると言いながらもすごく驚いたのを今でも覚えています。 今年の4/12で、あれから20年が経ちます。 せっかくの機会なので、こうやって皆さまに、Sellenatelaの道のりをお話していきたいと思います。   次回、初めての一足が生まれてからのお話を。 続く。
【#20】自分の本当の足のサイズ知っていますか??

【#20】自分の本当の足のサイズ知っていますか??

   前回の続き。   Perfumeさんの衣装シューズで苦い思いをした私は、シューフィッターの講習を受講しました。 講習を受けてみたら、私は今まで一体何をやっていたんだ、、、と靴に携わる者として反省する気持ちでいっぱいになりました。   シューズブランドを長年運営しているなかで一番多くいただく質問が、サイズや足入れについてです。 そして皆さま、自分の足のサイズに対する認識がふんわりしていることがほとんどです。 スニーカーだと24.5cmを履いてるんですけど〇〇の靴は23cmが履けて、、、SellenatelaのABIGAILだとどのサイズが良いですか?のような質問を幾度となく受けてきました。笑     足型計測を始めて気がついたのは、想像していた以上に自分のサイズを間違えている方が多いこと。(そして、足が変形してしまっている方の多いこと。。これについてはまた次回。)   これは仕方ありません。足を計測する機会自体が少ないので、履いてみてちょうど良いと思う靴のサイズを自分のサイズだと認識している方が多いのです。そして8割以上の方は(今のところの計測の比率です)、普段履いているサイズよりも実際の足は小さいです。   日本の靴は履く人のサイズを想定して作っています。例えば、24cmの靴は足長が23.7cm-24.2cmの人に向けて、というように。そこにだいたい1cm〜2cmの捨て寸と呼ばれるつま先側の余白を含んだものが靴自体の長さです。なので、24cm表記の靴の実際の長さはだいたい25cm〜26cmくらい。なので、実際24cm以上足長のある方が24cmを履けてしまうこともあるし、23cmの方が24cmを履いているということもあるのです。   そして厄介なことに、同じ24cm表記のシューズでも、メーカーやブランド、デザインによって捨て寸、厚み、踵の大きさなどの設定が様々なので、サイズ感が違うのが当たり前。同じブランド内でも木型によって設定が違うこともありますし、靴のサイズって本当に(本当に!)とても曖昧です。   今までは、靴ってそういうものだからと思っていたのですが、でも、身体を支える大切な足を守っている靴がこんなことで良いのだろうか。シューフィッターの講習を受けてから強くそう思うようになりました。   私はデザイナーであり、ブランドオーナーでもあります。今までたくさんの方にSellenatelaのシューズを販売してきました。 中には購入いただいた靴のサイズが合わなくて、悲しい思いをした方もいると思います。そういった方を一人でも減らしたい。   そのためには、サイズに対する正しい知識を広めること。足型計測をし自分の本当のサイズや足の特徴を知ってもらう機会をつくること。自分がデザインしたシューズの特徴をしっかりと説明すること。そして、計測して集めたデータに基づき足入れの良いシューズを作っていくこと。   美しく、ファッション性に富み、履きやすい靴の追求   私のシューズづくりのゴールです。終わりなき探求ですが、今までもこれからも変わらず、シューズづくりに励んでいきたいと思います。   そして、私自身がシューフィッターとしてお客様に接することで、足に合うシューズを選んでいただき、Sellenatelaのシューズを履いて日々を楽しく過ごしていただけたら嬉しいなと思っています。   相談もいつでも受け付けていますので、お気軽にチャットよりお問い合わせください。  
【#19】シューズデザイナーとしての苦い思い出

【#19】シューズデザイナーとしての苦い思い出

本格的にシューズデザイナーとして活動し始めて今年で15年目となりました。ずっと「靴」を見つめていましたが、一昨年Perfumeさんの衣装シューズを手がけたことがきっかけで「靴」だけでなく「足」について考え始めました。   彼女たち3人の足は皆24cm前後のサイズ感。この時は製作期間が短いこと等の理由から、同じデザインのブーツを24cmで3足つくることになりました。ダンスパフォーマンスが魅力の彼女たちの靴ということもあり、実際に足を見させていただいたり手持ちの靴でフィッティングもさせていただきました。   その時デザインをしたブーツ    出来上がったブーツは衣装にマッチしていて好評。ただ、ダンスをするには足入れが不安定とのことで結局1回だけ収録に使用し、その後彼女たちがそのブーツを履いているのを見ることはありませんでした。   これはシューズデザイナーである私にとって、すごく苦い経験です。もちろんダンスシューズというのは特殊なものですが、例え製作期間が短くても受けた仕事に対して完璧に応えたかった。信頼して依頼してくださった皆さまに申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。   彼女たちの足を見た時にそれぞれの足の特徴を理解したつもりでいたけれど、あの時もし私が足を正確に計測することが出来ていれば、もしかしたら違う木型を選んでいたかもしれない。そもそも24cm前後だから24cmということ自体、曖昧過ぎたのだ。そんな思いが渦巻きました。   どうしたらシューズデザイナーとしてもっとプロフェッショナルな仕事が出来るのか。そこで行き着いた答えが、足型計測の技術を身に付けデータを取ることと、足と靴の関係にについて深く学ぶことでした。そこで、計測技術を身につけるためにまずシューフィッターという資格を取ることを決め、直ぐに講習に申し込んだのでした。 シューフィッターは、ヒアリングや触診、足型計測をしたうえでお客様の足の情報を正しく把握し、靴の専門知識と掛け合わせ、その方の足に合うシューズを提案するための資格です。販売員の方が取ることが多い資格ですが、この講習を受けたことが私のデザイナー人生を大きく変えるきっかけとなるのでした。   次回へ続く  
【#18】  革ってエコじゃない?

【#18】 革ってエコじゃない?

2年前の5月、初めて姫路にあるタンナーさんを訪れました。姫路は日本三大皮革産地のひとつで、国内生産革の7割が姫路産と言われています。 靴に携わって早15年強。ずっと本革を扱っているのに一度も行ったことがなかった姫路。いつかいつかと思っていた時、とあるご縁に恵まれてついに行くことができました。そして、2年後の今日、やっとブログを書いています。(遅い!) 伺ったのはNOAのガラスレザーをつくってくださっているセナレザーさん。
【#17】美しい世界

【#17】美しい世界

靴業界には、若い職人が少ないと言われています。わたしが靴に携わりはじめた15年ほど前に一番活躍されていた職人さんたちは60代〜70代の男性で、その半数以上はもう今は引退されているのではないかと思います。
【#16】NOA, THE BEST PARTNER

【#16】NOA, THE BEST PARTNER

Sellenatelaのベストセラーアイテム NOAは、デザイナー榎本の「トレンドに左右されないモダンなレースアップブーツを作りたい」という思いからデザインされ、5年前の2016年秋冬コレクションで誕生しました。